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6月3日(金) [矛盾について(その304)]

 (今日は特別版です。)
 昨日の国会の様子を見てつくづく感じました、「ここまで日本の政治は劣化してしまったか」と。もともとそれほど上等のものだとは思っていませんでしたが、ここ最近の政治のありさま、とりわけ3.11後の動きにはイライラさせられ通しでした。それはひとことで言えば、「自分を棚に上げて」相手を攻撃するばかりの姿です。
 「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です」で始まる小学6年生の投書が話題になっているそうです。毎日小学生新聞への投書で、その内容は「福島第一原発を造ったのは東電だけれども、そのきっかけを作ったのは日本人みんなではないか」というものです。大量の電気が必要になったから、しかもいつまでも化石燃料に頼っているわけにはいかないということで原発を造ってきたのだから、東電だけを責めるのは酷ではないかという論調です。
 彼の主張をより敷衍すれば、体を張って原発に反対してきた人は別として、積極的に賛成しないまでも、沈黙の内にそれを認めてきた多くの人にも、結果的に原発を是認してきた責任があるのではないかという問題提起です。これには当然反論があるでしょう、その議論は敗戦時の「一億総懺悔論」と同じで、原子力政策を推進してきた政府や東電あるいは科学者たちの責任をうやむやにしてしまう危険性があると。
 東電少年の問題提起が「一億総懺悔論」になってはいけません。政府や東電などの責任をいささかでも軽くするものになってはいけないと思います。それは十分に注意した上で、しかし何か大事なことを訴えていると思うのです。それは一言でいえば「自分を棚に上げない」ということです。自分にもいくぶんかの責任はあるということを認めた上で、相手の責任を追及するべきだということです。そうしてこそ相手のこころに届くということです。

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