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「たたさま」と「よこさま」 [『ふりむけば他力』(その16)]

(11)「たたさま」と「よこさま」

 「よこさま」を辞書でしらべますと、普通の「よこ」の意味のほかに、「非道、不当」ということ、さらに「尋常でないこと」の意味があります。そう言えば、「横」のつく熟語には「横着」や「横柄」、「横暴」、「横領」など「非道・不当」なことを表すもの、そして「横禍」や「横死」など「尋常でないこと」を意味するものが多いことに気づきます。どうやら「よこさま」ということばには、世の普通のありように反し、世の秩序を乱すというニュアンスが含まれているようです。世の秩序は「たたさま」にできており、上下の位階を守らなければなりません。その秩序を無視して跳び越えるのが「よこさま」です。
 さて秩序の元となるのが時間であり、時間を守ることが秩序を守る基本です。「たたさま」とは時間をきっちり守り、時間の順序にしたがってものごとを一つひとつ成し遂げていくということです(後に詳しく検討しますが、これは原因と結果の秩序を守るということです)。それに対して「よこさま」は時間の順序を跳び越え、手順を踏むことなく一足飛びに目標に至ることです。『無量寿経』の「横に五悪趣を截り」という文言は、五悪趣を「たたさまに」へめぐるのではなく、「よこさまに」跳び越えて一気に安養国に至るということを意味します。しかしどうしてそんなことができるのか。その問いに答えて親鸞は「これすなはち大悲誓願力なるがゆゑなり」と言います。「たたさま」は自力の世界のことで、他力であるからこそ「よこさま」であると。
 自力においては「たたさま」に一歩一歩すすんでいかなければなりませんから、目はいつも「これから」に向いていますが、他力においては「大悲誓願力のゆゑ」に「よこさま」に跳び越えますから、気がついたときには「もうすでに」安養国に往生しているのです。ここに「よこさま」の不思議があります。最後にあらためて確認しておかなければならないのは、こちらに「たたさま」の自力の世界があり、あちらに「よこさま」の他力の世界があるのではないということです。われらは「たたさま」に自力を生きていますが、それがそっくりそのまま「よこさま」に他力のなかにあるのです。「たたさま」は「たたさま」のままで「よこさま」であるという関係にあります。

                (第1章 完)

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