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3月5日(火) [はじめての親鸞(その68)]

 唯円さんの暮らしがどんなふうに成り立っていたのか知りませんが、お布施がなくなれば生活できなくなってしまうじゃないかと心配になるのです。
 そんなことが心配になるのは、ぼく自身が自分の暮らしの心配をしているからです。自分の暮らしなんて大した問題ではないなどとは言えないからです。ぼくらは地震などの災害に遭われた方にいくばくかのお金を差し上げますが、気前よく財布ごと渡すことはできません。人を助けてあげたいとは思いますが、同時に自分の生活も大事にしたいからです。口では「お金なんて大した問題じゃない」と言いながら、腹では財布のことを心配しているのがぼくら凡夫です。ぼくらはそんな矛盾した言動をしているという事実をしっかり見据えなければなりません。
 お金を巡ることがらに人間の本質が隠されているような気がします。ぼくらはお金についてはなるべく触らないようにするところがあります。お金のことを言うのは、はしたないこと、下品なことだとされます。お金というものは人間の欲望の塊りみたいなものですから、お金のことを話題にするのは、欲望に直に触るようで気が引けるのです。欲望というものは醜いものですから、包み隠して見えないようにしなければなりませんが、逆に言いますと、そんなふうに隠されたところにこそ人間の本質があるのです。隠されるのは、へそ下三寸と財布の中です。
 隠しているものをわざわざ曝け出すことはありませんが、隠しているということを自覚していることは大事なことです。

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