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5月22日(日) [矛盾について(その292)]

 どうして「このまま生きていていい」と思えないのかということでした。
 きっかけは芹沢氏が例に出しているような思わぬ躓きなどでしょう。些細なことで同僚との関係がうまくいかなくなり、職場に居場所がなくなってしまった。あるいは学校で陰湿ないじめにあい、登校できなくなった。
 芹沢氏は、こうして「ある自己」が傷つくと言うのですが、何度も言いますようは、彼の言う「ある自己」とは「する自己」に他なりませんから、それだけでは引きこもりに至ることをうまく説明できません。
 どうしてすべての人間関係から撤退しなければならないのか。
 それは、学校や職場に居場所がなくなり、窮地に立たされたとき、「あなた」から「そのまま生きていていい」という声が聞こえるかどうかにかかっています。聞こえさえすれば、どんな窮地にあっても、それに立ち向かっていくことができるでしょう。この世に居場所があるのですから。
でも、その声が聞こえなかったら…。
 しつこいようですが、再度大事なことを確認しておきます。「この世にいる」こと、あるいは「このまま生きていていい」ということは、「知る」ことではなく「感じる」ことです。そして感じることは、感じてはじめてその姿を現し、感じなかったらそれまでだということ。
 百人一首に「あひみての、後のこころにくらぶれば、むかしはものをおもはざりけり」という有名な歌がありますが、「昔はものをおもはざりけり」と思うのも、あひみたからこそです。あひみることがなかったら、「昔はものをおもはざりけり」と思うこともありません。つまり、何ごとかを感じなかったら、感じないと思うこともありません。あることを感じてはじめて、以前は感じなかったと分かるのです。

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