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10月8日(土) [矛盾について(その431)]

 ぼくらは幸か不幸か未来という時間をもってしまった。だから「明日のことを思い煩うな」と言われても、どうしても思い煩ってしまうのです。それは多分今日生きていることに「これでよし」と思えないからです。「こんなはずじゃない」と思ってしまう。「こんなはずじゃない」から明日に希望をかけるのです、明日は今日よりもいい日になりますようにと。
 こうして今日のことを思い煩うだけでは足りなくて、明日のことまで思い煩う羽目になるのです。何と因果なことかと思いますが、未来という時間を持ってしまったための宿命です。ぼくらは未来に希望をかける。それは現在に欠如を感じるからです。その欠如を未来に埋めてもらおうとするのです。
 さて、未来に願いをかけるとき、ふと、未来から願いがかけられているように感じることがあります。ぼくらが願っているはずなのに、その底で実は願われていると感じる。未来に向かって「こんなはずじゃない、もっと違っていいはずだ」と願う中で、未来からそのように願われているように感じるのです。
 キング牧師はその演説の中で“I have a dream”と言いました。「わたしには夢がある。それは、いつの日か、ジョージアの赤茶けた丘の上で、かつての奴隷の息子たちと、かつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟としてともにテーブルにつくことだ」と。彼は「いつの日かone day」に希望を託しているのですが、実は「one day」から彼に希望が託されているのです。
 そう感じたとき、「こんなはずじゃない」が「こんなはずじゃない」ままで「これでよし」と思えます。たとえ「one day」が永遠に来なくても、それはそれでよしと思えるのです。それでよしと思いながら、でも「one day」を待ちつづける。こうして「one day」が今日を照らす光となってくれるのです。

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