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4月1日(金) [矛盾について(その242)]

 家の近くを散歩していましたら、すれ違いざま見知らぬ人から「おはようございます」と声をかけられました。朝の挨拶と言えばそれまでですが、それがふと「そのまま生きていていい」と聞こえることがあります。それは全く予期しないことで、一瞬びっくりします。そして喜びがじわりと胸の中に広がる。
 そんなふうに聞こえるのはぼくだけのことで、他の人には「おはようございます」としか聞こえないでしょう。声をかけてくださった方もただ朝の挨拶をしたにすぎないでしょう。ところがそれが「そのまま生きていていい」と聞こえ喜びがわが身を包む。
 どうして「そのまま生きていていい」などと聞こえたのでしょう。その声はぼくの中から聞こえてきたのではなく、間違いなく外から届いたのです。どうしてそう断言できるかというと、そんなふうに聞こえるのが全く思いがけないことだからです。だからこそ一瞬「えっ」と耳を疑ったのです。
 そもそも「そのまま生きていていい」というメッセージは、自分が自分に言い聞かせても何の意味もありません。外から聞こえてはじめて喜びをもたらします。かくして、このメッセージは声をかけてくださった方から出たものでもなければ、自分の中から出たものでもありません。としますと、一体どこからやってきたのか。
 ここで「それは仏の声です」と言いたくなります。「見知らぬ人を通して仏の声が聞こえたのです」と。ぼくには正直なところそう言いたい衝動があります。でもそう言ってしまうと、そこから宗教の世界に入ってしまう。

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