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どんな人にも「いじめ虫」が [生きる意味(その132)]

(6)どんな人にも「いじめ虫」が

 もしその場にぼくとその子だけしかいなかったら、そんなことは絶対言わなかったと思います。周りにいた級友たちを意識して言ってしまった。うけをねらったのです。
 それだけのことです。それだけのことなのに、今もなお心のどこかに痛みとして残っています。その時の驚いたような彼女の顔は忘れることができません。ぼくは思うのです、その時傍に先生がいて、「何で弱いものいじめをするんや」とこっぴどく叱ってくれていれば、ぼくは泣きながらその子に謝ったのではないか、“ごめん、かんにんしてや”と。そしてそれができていれば、それから50年以上も経ってまだ心の中で“ごめんやで”と言わなければならないようなことにはならなかったと思うのです。あの時に素直に謝ることができていさえすればと。
 「いじめ虫」はいじめられている子の中にもいると言いましたが、これには反論があるかもしれません、「いじめ虫」はいじめる子にしかいない、と。そうでしょうか。これは大事な点ですので、もう一度言わせてください。
 一生いじめなんてしない人はたくさんいるでしょう。でも、ぼくが言いたいのは、どんな人の心にも「いじめ虫」がいるのだけれども、出番がないだけだということです。だからこそ、そいつが出てこられないような「空気」をみんなで作っていく必要があるということなんです。いじめは決して特別な人だけがするんじゃないということです。


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