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はじめに [「『正信偈』ふたたび」その1]

回 正信偈とは

(1)  はじめに

これから「『正信偈』ふたたび」と題してお話してまいりたいと思いますが、「ふたたび」と銘打ちましたものの、正確に言いますと「みたび」となります。で、思いますのは、自分で言うのも何ですが、回を重ねるにしたがって話が深まっているということです。一度目よりも二度目の方が、話の根本は変わらないものの、それを言語化するときに深みが増していると自分で感じます。そして二度目より三度目の今回、さらに深めていかなければならないと思っています。

さて『正信偈』とは何かということについては、真宗の門徒衆にとっては、日々のお勤めのなかで読誦されているでしょうから、いまさらあらためて言うまでもないでしょうが、ぼく自身がそうであるように、真宗の門徒ではないが親鸞という人と思想に関心をもって学んでみようという方もおられると思いますので、一通りのことをお話しておきたいと思います。

「正信偈」、正式には「正信念仏偈」と言い、「正しい信心と念仏の偈(うた)」ということですが、「帰命無礙光如来 南無不可思議光」とはじまりますように、七言を一句とし、六十行、百二十句で構成されています。親鸞の主著であります『教行信証』(真宗では『本典』とよばれます)の第二巻「行巻」の末尾におかれています。その体裁から言いますと、「行」すなわち称名念仏のまとめとしてつくられたように見えますが、その正式名称に「正信」が入っていることからも窺えますように、これは「行巻」にとどまるものではなく、次の「信巻」にも関係し、もっと言えば『教行信証』のすべてがそこに入っているとも言えます。

実際、『教行信証』のダイジェスト版と言える『浄土文類聚鈔』(『略典』とよばれます)では、「教」・「行」・「信」・「証」のすべてが説かれた後に「正信偈」(こちらでは「念仏正信偈」と言われます)が置かれています。そこからしましても「正信偈」は、それだけで本願念仏の教えのエッセンスがすべて盛り込まれていると考えることができ、蓮如がこれを和讃とともに開版印刷して、門徒衆の日々のお勤めのなかに組み込んだのはまことに慧眼だと言わなければなりません(それまでは善導の『往生礼讃』が日々の勤行で読誦されていたようです)。


タグ:親鸞を読む
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