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マッカリ・ゴーサーラ [「信巻を読む(2)」その90]

(8)マッカリ・ゴーサーラ

二人目の大臣が登場します。

またひとりの臣あり、名づけて蔵徳(ぞうとく)といふ。また王の所に往きて、この言をなさく、〈大王、なんがゆゑぞ面貌憔悴(めんみょうしょうすい)して、口(しんく)乾燥し、音声微細(おんじょうみさい)なるや。乃至 なんの苦しむところあつてか、身痛むとやせん、心痛むとやせん〉と。王すなはち答へていはく、〈われいま身心いかんぞ痛まざらん。われ痴盲にして慧目あることなし。もろもろの悪友(あくう)に近づきて、これよく提婆達多(だいばだった、釈迦の従弟、阿難の兄、釈迦の教団の乗っ取りをはかる)悪人の言に随ひて、正法の王に横に逆害を加す。われ昔かつて智人の偈説せしを聞きき。《もし父母、仏および弟子において、不善の心を生じ、悪業を起さん。かくのごときの果報、阿鼻獄(阿鼻地獄、無間地獄のこと)にあり》と。この事をもつてのゆゑに、われ心怖(しんぶ)して大苦悩を生ぜしむ。また良医の救療(くりょう)を見ることなけん〉と。大臣またいはく、〈やや、願はくは大王、しばらく愁怖することなかれ。法に二種あり、一には出家、二には王法なり。王法といふは、いはく、その父を害して、すなはち国土に王たるなり。これ逆なりといふといへども、実に罪あることなけん。迦羅羅虫(かららちゅう)のかならず母の腹を破りて、しかして後、いまし生ずるがごとし。生の法かくのごとし。母の身を破るといへども実にまた罪なし。騾腹(らふく)の懐妊(騾馬は子を孕んで死ぬと言われる)等またまたかくのごとし。治国の法、法としてかくのごとくなるべし。父兄(ぶきょう)を殺すといへども、実に罪あることなけん。出家の法は、乃至蚊蟻(もんぎ)殺す、また罪あり。乃至 王ののたまふところのごとし、《世に良医の身心を治するものなけん》と。いま大師あり、末伽梨句舎梨子(まかりくしゃりし、マッカリ・ゴーサーラ)と名づく。一切知見して衆生を憐愍すること、赤子(しゃくし)のごとし。すでに煩悩を離れて、よく衆生三毒(貪瞋癡)の利箭(りせん、鋭い矢)を抜く。乃至 この師いま王舎大城にいます。やや、願はくは大王、その所に往至して、王もし見ば衆罪消除せん〉と。時に王答へていはく、〈あきらかによくかくのごときわが罪を滅除せば、われまさに帰依すべし〉と。


タグ:親鸞を読む
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