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念仏の香気 [『教行信証』精読(その125)]

(2)念仏の香気

 念仏の功徳を伊蘭林と栴檀の譬えでみごとに説いているところです。道綽が譬えの意味をみずから明かしてくれていますように、伊蘭の林とはわれらの煩悩の心で、一本の栴檀の樹とは念仏の心です。伊蘭の大樹林のなかに、たった一本の栴檀の樹が、しかもわずかに若木としての姿をあらわすだけで、林全体を覆っていた耐え難く臭い匂いが、一気に芳しい香気に変わってしまうように、煩悩の心のなかに、わずかに念仏の心が芽を出すだけで、煩悩の苦しみが菩提の喜びに一変してしまうというのです。印象的な譬えで念仏の力を分かりやすく伝えてくれます。
 ただ、この譬えを読むとき気をつけなければならないことがいくつかあります。まず「伊蘭の林のなかに一本の栴檀の木が生えるとき、伊蘭の耐え難い臭気が消えて、栴檀の香気ばかりになってしまう」のではないということです。香水というのも、体臭を消してくれるのではなく、よい香りで元の匂いを紛らしているにすぎないでしょう。香水のよい香りが他を圧倒して、他の匂いが気にならなくなるだけです。栴檀の香気も伊蘭の臭気を消すのではなく、それを圧倒してしまうのです。伊蘭の臭気はもとのままただよっているはずですが、もう気にならなくなる。そのように念仏の香気も煩悩の臭気を消してしまうわけではなく、ただそれが気にならないようにしてくれるだけです。
 二つ目。伊蘭林の臭気は、生まれてこのかたずっとその中にいる人には臭気でも何でもないということです。鼻が麻痺してしまっているというよりも、伊蘭林の匂いしか知らない人には、それがいい匂いでも悪い匂いでもありません。かなり前のことになりますが、はじめて上海に行ったときのことを想い出します。上海の水道水はすべてそこを流れる黄浦江から取水されていますが、その水が何とも形容しがたい独特の匂いがするのです。レストランで食べる料理はすべてその水が使われていますから、みな独特の匂いがしますし、食後のコーヒーからも同じ匂いがしてきて、こりゃたまらんと思ったものでした。しかし生まれてこのかた上海に住み続けている人にはその水しかないのですから、何も気にならないに違いありません。

タグ:親鸞を読む
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