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四諦 [『ふりむけば他力』(その33)]

(6)四諦

 釈迦の教説として縁起や無我とともによく知られているのが四諦(したい)です。「四つの真理」ということですが、釈迦が初転法輪で説いたのが中道とこの四諦だと言われます。『ダンマパダ』にはこうあります、「さとれる者(仏)と真理のことわり(法)と聖者の集い(僧)とに帰依する人は、正しい智慧をもって、四つの尊い真理を見る。―すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り立ちと、(3)苦しみの超克と、(4)苦しみの終滅におもむく八つの尊い道(八正道)とを(見る)」と。(1)は苦諦と呼ばれ、生きることはすべて苦しみであるということ、(2)は集諦で、あらゆる苦しみの元は煩悩であるということ、(3)は滅諦で、煩悩が滅するとき涅槃寂静の境地が得られるということ、(4)は道諦で、その境地に至るために正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八正道があるということです。
 これは釈迦の教えを要領よくまとめたものとして重宝されますが、それだけに思わぬ落とし穴にはまってしまう恐れがあります。「苦しみ」(苦諦)と「苦しみの成り立ち」(集諦)はいいのですが、次の「苦しみの超克」(滅諦)をどう理解するかが問題です。苦しみが起こってくる元は煩悩、すなわち貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろかさ)などにあるということ(これが集諦です)から、滅諦は「苦しみを超克するためには煩悩を滅却し〈なければならない〉」ということだとされるのです。論理の流れとしてはそうなるのが自然のように思われ、釈迦は苦しみをなくすためには煩悩をなくさ〈なければならない〉と説いたのだと理解されるのです。
 さてしかしここで思い起こしたいのが縁起で、煩悩と苦しみは縁起の関係にあるということです。あらためて縁起とは何かといいますと、「あらゆることがらは他との関係が縁となって生起する」という意味で、「これがあればかれがあり、これがなければかれはない。これが生ずればかれが生じ、これが滅すればかれが滅す」と表現されます。煩悩と苦しみをこれにあてはめますと、「煩悩があれば苦しみがあり、煩悩がなければ苦しみはない。煩悩が生ずれば苦しみが生じ、煩悩が滅すれば苦しみが滅す」となります。ここから言えますのは、煩悩と苦しみは互いに依存しあっており、一方があるところかならず他方もあるということであって、苦しみをなくそうと思えば煩悩をなくさ〈なければならない〉ということではありません。

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