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難治の機 [「信巻を読む(2)」その83]

第8回 六師外道

(1)  難治の機

これから『涅槃経』から長い引用がはじまります。阿闍世の救いを廻る説話ですが、まず「難治の三機」について語られます。

それ仏、難治の機(治しがたい病)を説きて、『涅槃経』にのたまはく、「迦葉(かしょう。釈尊十大弟子の一人。頭陀第一とされ、第一結集の中心人物)、世に三人あり、その病治しがたし。一つには謗大乗、二つには五逆罪、三つには一闡提(いっせんだい)なり。かくのごときの三病、世のなかに極重なり。ことごとく声聞・縁覚・菩薩のよく治するところにあらず。善男子、たとへば病あればかならず死するに治することなからんに、もし瞻病(せんびょう、瞻とは看ることで、看病)、随意の医薬あらんがごとし。もし瞻病随意の医薬なからん、かくのごときの病、さだめて治すべからず(普通の読みは「たとへば病あり、必死にして治することなきがごとし。もしは瞻病随意の医薬あるも、もしは瞻病随意の医薬なきも、かくのごとき病はさだめて治すべからず」)。まさに知るべし、この人かならず死せんこと疑はずと。善男子、この三種の人またまたかくのごとし。仏・菩薩に従ひて聞治を得をはりて、すなはちよく阿耨多羅三藐三菩提心を発せん。もし声聞・縁覚・菩薩ありて、あるいは法を説き、あるいは法を説かざるあらん。それをして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむることあたはず」と。以上

ここで、これまでの流れをふり返っておきますと、「信巻」のメインとも言うべき「三心一心問答」が終わったあと、「横超断四流」についての注釈(第3回の途中から第4回)、つづいて「真の仏弟子」についての注釈があり(第5回から第7回まで)、その最後に「悲しきかな愚禿鸞」の述懐がありました。その後にこの文がきて、これから岩波文庫版のテキストで言いますと40ページちかく『涅槃経』からの引用がつづくことになります。そこで阿闍世の父王殺しが取り上げられ、五逆罪をはじめとする難治の機が釈迦の教えにより救われていく話が語られていくことになるのです。


タグ:親鸞を読む
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