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8月13日(土) [矛盾について(その375)]

 矛盾はぼくらが「見ている」ところで生じてはいけませんが、ぼくらが「生きている」ところで否応なく生まれるのです
 例えば「いまだ救われていないが、もうすでに救われている」。
 これが、ぼくという人間を「見て」、その状態を報告しているのでしたら、明らかに矛盾律に抵触します。ですから、直ちに退場を命じなければなりません。ぼくらの論理はこういう言明を許さないのです。しかし、ぼく自身がいま「救われていない」という悲しみを「生きて」おり、でも同時に「救われている」という喜びを「生きて」いるのでしたら、ここには切り捨ててはならない真実があります。誰かが、いや世界中の人たちが「そんな矛盾した言明は許さない」と言ったとしても、ぼく自身がこの矛盾を「生きている」のですから、どうしようもありません。何を言われようが、ぼくはこの悲しみと喜びを生きていくしかないのですから。
 「いまだ救われていないが、もうすでに救われている」なんて、そんな矛盾が許されるはずがないと言うのは、その悲しみと喜びをみずから生きていないからです。それを内に生きていませんから、外に見るしかありません。かくして「いまだ救われていないが、もうすでに救われている」だって?明らかな矛盾じゃないか、となるのです。
 ここには不幸なすれ違いがあります。

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