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2013年8月27日(火) [はじめての『教行信証』(その30)]

 しかし、この往相・還相の問題はここで論ずるわけにはいきません。教巻では往相廻向に教・行・信・証があると述べられているだけで、還相については何も触れられていません。それは証巻で扱われることになりますので、そこでじっくり考えたいと思います。
 一言だけ先回りして言っておきますと、往相があって、しかる後に還相というように、両者は別々になっているのではなく、往相がそのまま還相であり、同じことが前からみれば往相、後からみれば還相というように考えるべきです。

(2)『無量寿経』という経典
 さてこの一節に続いて、前に触れましたように「それ真実の教をあらはさば、すなはち大無量寿経これなり」がきます。そして、この経典の内容が次のように要約されるのです。
 「この経の大意を言いますと、阿弥陀仏が一切衆生を救おうという誓願を立てられ、広大な法(真理)の蔵の中から、哀れな凡夫たちのために、特に選んで功徳の宝(「なむあみだぶつ」の名号)を与えてくださったということです。そして釈迦がこの世に現れ、この道理を明らかにして、人々を救うために真実の利(名号のこと)を伝えてくださったのです。」
 そして、次の結論がきます。
 ここをもて如来の本願をとくを経の宗致とす。すなはち佛の名号をもて経の体とするなり。
 「こういう訳で、阿弥陀仏の本願がこの経の本質です。そして阿弥陀仏の名号がこの経の根幹です。」
 たったこれだけです。

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