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第10回、本文1 [「『証巻』を読む」その94]

第10回 智慧と方便

(1)  第10回、本文1

善巧摂化の次は障菩提門(菩提を障碍する心を遠離する)の章です。

障菩提門とは、〈菩薩かくのごとくよく回向成就したまへるを知れば(通常は「回向を知りて成就すれば」となるのを、主語を法蔵菩薩として読んでいる)、すなはちよく三種の菩提門相違の法を遠離(おんり)するなり。なんらか三種。一つには智慧門によりて、自楽を求めず、わが心自身に(とん)(じゃく)(貪りもとめる)するを遠離するがゆゑに〉(浄土論)とのたまへり。進むを知りて退くを守る(進んで衆生済度することを知り、自利主義に退かないよう身を守る)を〈智〉といふ。空無我を知るを〈慧〉といふ。智によるがゆゑに自楽を求めず、慧によるがゆゑにわが心自身に貪着するを遠離せり。

〈二つには慈悲門によれり。一切衆生の苦を抜いて、無安(むあん)衆生(しゅじょう)(しん)(衆生を安んずることなき心)を遠離せがゆゑに(浄土論)とのたまへり。苦を抜くを〈慈〉といふ。楽を与ふるを〈悲〉といふ。慈によるがゆゑに一切衆生の苦を抜く。悲によるがゆゑに無安衆生心を遠離せり。

〈三つには方便門によれり。一切衆生を憐愍(れんみん)したまふ心なり(通常は「憐愍する心なり」)。自身を供養し恭敬(くぎょう)する心を遠離るがゆゑに〉(浄土論)とのたまへり。正直(かたよりがなく平等なこと)を〈方〉といふ。おのれを(ほか)にするを〈便〉といふ。正直によるがゆゑに一切衆生を憐愍する心を生ず。おのれを外にするによるがゆゑに自身を供養し恭敬する心を遠離せり。〈これを三種の菩提門相違の法を遠離すと名づく〉(浄土論)と。

還相の菩薩は智慧と慈悲と方便をもち、智慧門によって「我心貪着自身(自身に貪着する心)」を遠離し、慈悲門によって「無安衆生心(衆生を安んずることなき心)」を遠離し、方便門によって「供養恭敬自身心(自身を供養し恭敬する心)」を遠離すると説いています。


タグ:親鸞を読む
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