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偈文12 [正信偈と現代(その102)]

          第12回 天親-一心をあらわす

(1)偈文12

 天親菩薩造論説(てんじんぼさつぞうろんせつ)   天親菩薩、論1を造りて説(と)かく、
 帰命無碍光如来(きみょうむげこうにょらい)    無碍光如来に帰命したてまつる。
 依修多羅顕真実(えしゅたらけんしんじつ)     修多羅2に依りて、真実を顕わして
 光闡横超大誓願(こうせんおうちょうだいせいがん) 横超3の大誓願を光闡4す。
 広由本願力回向(こうゆほんがんりきえこう)  広く本願力の回向に由(よ)りて、
 為度群生彰一心(いどぐんじょうしょういっしん) 群生を度せんがために、一心5
を彰(あらわ)す。

 注1 浄土論。
 注2 スートラ、経典のこと。ここでは無量寿経をさす。
 注3 生死の海を横さまに超える。他力のこと。
 注4 明らかにあらわす。
 注5 信心のこと。

 (現代語訳) 天親菩薩は『浄土論』をあらわし、「無碍光如来に帰命いたします」と述べられました。無量寿経に依って真実を顕し、よこさまに生死の海を超えさせてくださる大誓願を明らかにしてくださいました。また、広く本願の力に依り、生きとし生けるものを迷いから救い出すために、一心、すなわち他力の信心を明らかにしてくださいました。

 龍樹のときも、中観の哲学者がどうして念仏の教えを、という戸惑いがありましたが、天親も同じで、唯識の大学者がどうして『浄土論』を、という疑問がわきあがってきます。『倶舎論』という部派仏教(説一切有部)のテキストを書いた天親が、兄の無着に誘われて大乗に転じ、唯識の大成者となっていくのですが、どうしてその人が「世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず」(『浄土論』の冒頭、帰敬偈とよばれます)と言うのでしょうか。

タグ:親鸞を読む
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