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悪いことをしたら地獄に堕ちる [『一念多念文意』を読む(その101)]

(9)悪いことをしたら地獄に堕ちる

 ただ、仏の声が聞こえるというときの仏とは過去存在としての死者であるのは間違いありません。死者である過去仏の声が間違いなく届いているのです、「一切衆生を成仏させたい」と。ぼくらとしてはその声をほれぼれと聞くだけ、そして「ようこそ、ようこそ」と応えるだけです。
 そして思うのです、死ねばみんなこの声の主と同じように仏になるのだろうと。何度も言うようですが、たとえ仏にならなくても一向にかまいません、「いま、ここで」すでに仏にひとしいのですから。でも、「帰っておいで」と聞こえるのだから、仏になるのだろうとほのかに思うだけです。
 しかし、と、まだ抵抗は続くに違いありません、みんな仏になるというのは、どう考えても理不尽ではないか。悪の限りを尽くしてきたようなものも死んだら仏になるなんて許せない、そういう人間はやはり地獄のようなところで苦しんでもらわなければならないと。これは死刑賛成論と同じ思いです。極悪非道な人間にふさわしい刑罰として死刑はやはり必要だという感覚。どんなに悪いことをしても、それをされた側と同じじゃ辻褄があわないよと。
 ここで輪廻について少し考えておきましょう。
 ぼくらにとって輪廻の思想と因果応報の思想はセットになっています。今生でどんな生き方をしたか、善いことをしたか、それとも悪いことばかりしたかによって、来世に何に生まれるか、もう一度人間界に生まれることができるか、それとも地獄におちるかが決まるというのです。だから「悪をなすなかれ、善をなすべし(諸悪莫作、衆善奉行、しょあくまくさ、しゅぜんぶぎょう)」。この発想はもう仏教の中に深く根を下ろしていますから、死んだらみな仏になるなどということはありえないと激しい反発が起こるのです。

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