SSブログ
「信巻を読む(2)」その62 ブログトップ

難きがなかにうたたまた難し [「信巻を読む(2)」その62]

(4)難きがなかにうたたまた難し

次は『往生礼讃』と『観念法門』からです。

またいはく(往生礼讃)、「仏世はなはだ値(もうあ)ひがたし。人、信慧(しんね、信心の智慧)あること難し。たまたま希有の法を聞くこと、これまたもつとも難しとす。みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたまた難し。大悲弘くあまねく化する、まことに仏恩を報ずるになる」と。

またいはく(往生礼讃)、「弥陀の身色(しんじき)は金山(こんぜん)のごとし。相好の光明は十方を照らす。ただ念仏するもののみありて光摂を蒙る。まさに知るべし、本願もつとも強(こわ)しとす。十方の如来、舌を舒(の)べて証したまふ。もつぱら名号を称して西方に至る。かの華台(蓮華の台座)に到つて妙法を聞く。十地の願行(十地…菩薩道の第41位から50位まで‐の菩薩の願と行)、自然に彰(あらわ)る」と。

またいはく(観念法門)、「ただ阿弥陀仏を専念する衆生のみありて、かの仏心の光、つねにこの人を照らして摂護して捨てたまはず。すべて余の雑業の行者を照し摂むと論ぜず。これまたこれ現生護念増上縁(観念法門に上げられる五種増上縁‐すぐれた功徳をもたらす五つの因縁。滅罪増上縁、護念増上縁、見仏増上縁、摂生増上縁、証生増上縁‐の一つ)なり」と。以上

『往生礼讃』の一つ目の文は本願念仏の法の難しさについて述べます。正信偈にも「弥陀仏の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持すること、はなはだもつて難し。難のなかの難これに過ぎたるはなし」とある通りで、これは浄土の教えにおいてしばしば取り上げられる論題です。念仏門は易行道であるとされ、「陸道の歩行(ぶぎょう)はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし」(「易行品」)と言われる傍ら、本願を信楽受持することの難しさがこれでもかと強調されます。本願を信楽することができれば、あとは「水道の乗船」のごとく、これほど易しいことはないのですが、本願を信楽することそのものが「難のなかの難、これに過ぎたるはなし」です。

 


タグ:親鸞を読む
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
「信巻を読む(2)」その62 ブログトップ