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可逆か不可逆か [『ふりむけば他力』(その83)]

(7)可逆か不可逆か

 ヒュームが因果の観念を分析して教えてくれましたように、そこには「近接」、「継起」、そして「必然」の三つの要素があります。すなわちわれらがあるものを原因、あるものを結果と判断するのは、その二つが近接しており、そして一方が他方に先行し、しかもたまたまそうであるのではなく、いつもそのように結びついているときです。このなかで本質的なのが「継起」でしょう。つまり一方が先行し、時間の長短はさまざまでも、いくぶんか時間が経過したのちに他方が起こるということです。そしてこの関係は不可逆的です。Aが原因としてBという結果を引き起こすときには、逆にBが原因としてAという結果をもたらすことは絶対にありません。地球温暖化が異常気象を引き起こすのであり、逆に異常気象が地球温暖化をもたらすことはありません。
 この因果の観念がもうわれらの身体の隅々に染み込んでいますから、先の「これが生ずればかれが生じ」という文を読んだときに、「これが生ずる」ことと「かれが生ずる」ことの間に時間が経過していると感じるのではないでしょうか。「これが滅すればかれが滅す」についても、「これが滅する」ことと「かれが滅する」ことが時間的に離れていると思うのではないか。そして、これが肝心なことですが、「これ」と「かれ」とは不可逆であり、「これが生ずればかれが生ずる」としますと、「かれが生ずればこれが生ずる」ことは絶対にないと思うのではないでしょうか。このようにして縁起の法も近代科学の因果観念と同じであると感じることになると思われます。
 そこでもう一度「これがあればかれがあり、これがなければかれはない。これが生ずればかれが生じ、これが滅すればかれが滅す」という経文を虚心坦懐に読んでみましょう。そうしますと、この文は「これ」があるところ、かならず「かれ」があり、また「かれ」があるところ、かならず「これ」があると述べているのであり、したがって「これが生ずればかれが生ず」とすれば、それと同時に「かれが生ずればこれが生ず」とも言えるのであり、また、「これが滅すればかれが滅す」のであれば、また「かれが滅すればこれが滅する」のでもあることが明らかになります。つまり「これ」と「かれ」は可逆的であるということです。

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