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2月18日(金) [矛盾について(その204)]

 何という日記でしょう。いま「無縁社会」ということばが多くの人々のこころをつかんでいますが、これはいまから15年も前の出来事です。
 多分寝たきりの息子の面倒を見ながら、自分も病気をかかえてフラフラしているらしい母親が、もう食べるものが一切なくなった状況を日記に克明に記しています。日記を書くことだけが生きている証だとでもいうように。
 どうして餓死寸前まで日記を書き続けたのでしょう。
 彼女には日記を書く習慣があったからでしょうが、そこで納得してしまわないで、それにしてもどうして、と踏み込んでみたいのです。書く内容は辛いことばかりです。何かいいことがあって、それを日記に書きとめておくのはよく理解できます。しかし餓死にまで追い込まれるほど辛く苦しい生活を克明に書き続けるということをどう理解すればいいのか。
 日記を書くのは、それを自分が死んだ後、誰かに読んでもらいたいからではないでしょう。そういうことも頭の片隅にあったかもしれませんが、そんなことよりいま誰かに語りかけたいからです。誰かにいまの自分たちの様子を報告せずにはいられないからです。それが誰かは分かりませんが、例えば亡き夫に辛く苦しいこころの裡を語りかけているのです。そして見えない誰かに語りかけるのは、それに先立ってその誰かから語りかけられているのです。
 そこには確かに誰かがいるのです。
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