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2月25日(金) [矛盾について(その211)]

 「いる」ことが肯定されていると感じられれば、「自分でどうしたいと思っても、なるようにしかならない」ことがこれまでとは反対に福音となる。
 これまでは「思うようにならず、なるようにしかならない」ことは自分を押しつぶす壁に見えたのですが、いまや「どうもがいても、なるようにしかならない」のだから「焦らずに自分でできることをやるさ、その結果がどうなろうと気にすることはない」と思えるのです。何と気が軽くなることでしょう。
 それは自分の「する」ことは否定されても、「いる」ことが肯定されていると感じるからです。誰かの何気ないことばが(見知らぬ方の「こんにちは」の声が)「いる」ことを肯定してくれているように感じられるのでした。そのとき誰かがかけがえのない「あなた」となるのです。
 しかし「あなた」とは何でしょうか。「あなた」には単なる二人称代名詞に収まりきらない何かがあります。
 「あなた」は普通「貴方」や「貴女」の漢字が当てられますが、もともとは「彼方」が転じたもので「あちら」ということです。「あちら」にいる人のことを、直接呼ぶのがはばかられるとき、位置関係をあらわす「あなた」ということばで呼んだのでしょう。昔は自分のことを「こなた」と言うこともあったようで、それとの関係で相手を「あなた」と呼んだと思われます。
 それにしても「あなた」は二人称代名詞としては非常に使い勝手が悪いことばです。
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