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『歎異抄』を読む(その20) ブログトップ

6月4日(月) [『歎異抄』を読む(その20)]

 「どうして人を殺していけないのか」という問い。
 よくある答えは「人を殺してもいいとなったら、自分自身が殺されても文句言えなくなるから」というものでしょうが、この高校生に「誰だって殺されたくないからだよ」と言っても全く納得しないだろうと思います。
 そんな問いを持ってしまった者は、自分が誰かに殺されたって構わないという地平に立っているからです。つまり、彼は自分がどうして生きているか分からなくなっています。そして、自分が何故生きているのか分からなくなったら、他の人間が何故生きているのかも分からない。そこから何故人を殺していけないのか分からなくなるまではほんの一歩でしょう。
 自分が何故生きているか分からない⇒他の人間が何故生きているか分からない⇒何故人を殺していけないか分からない。
 ですから、ぼくならこう答えます、「どうやら君は自分がどうして生きているのかが分からなくなっているね。だからそんな問いが生まれてくるのだと思う。もし自分が何故生きているのかが分かれば、自ずとその問いは消えるはずだ。だから君が今考えなくちゃいけないのは、君自身が何故生きているかだよ」と。
 生きることは素晴らしいと思うから、人を殺すなんてとんでもないと思うのです。生きることが何でもなくなると、死ぬことも何でもなくなり、じゃあひとつ死んでみるかとなったり、ひとつ人を殺してみるかとなるのです。

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