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『歎異抄』を読む(その154) ブログトップ

10月17日(水) [『歎異抄』を読む(その154)]

 ここで取り上げられている異義は、『観無量寿経』に説かれていることがもとになっています。
 『観無量寿経』という経典は、釈迦在世の頃のある事件を背景として説かれています。その事件というのは、当時マガダ国の都、王舎城(ラージャグリハ)で、アジャセという王子が悪友ダイバダッタ(釈迦の従兄弟)にそそのかされて父ビンバシャラ王を幽閉し、夫の命を助けようとした母イダイケも殺そうとしたというものです。
 結局王宮の奥深く幽閉されたイダイケは釈迦に説法を請い、それに応じて釈迦が説いたのがこの経典です。その後半で、上品上生から下品下生までの九品の衆生について、極楽往生のそれぞれの道すじが説かれるのですが、この部分は下品下生、つまり十悪五逆の悪人の往生について書かれています。
 アジャセのような十悪五逆の罪人も、臨終において阿弥陀仏の名を十度称えれば往生できると言うのです。一度称えれば八十億劫の罪が消えるから、十度称えれば十八十億劫の罪が消え、めでたく極楽往生できると。
 ここで十悪と言いますのは、殺生、偸盗(ぬすみ)、邪淫(不倫)、妄語(うそ)、両舌(二枚舌)、悪口、綺語(飾ったことば)、貪欲、瞋恚(いかり)、愚痴(おろかさ)で、五逆とは、殺父、殺母、殺阿羅漢(聖者を殺す)、出仏身血(仏を傷つける)、破和合僧(教団を分裂させる)を言います。
 こんな十悪五逆の罪人であっても念仏することで往生できるのは、念仏に罪を消滅させる利益があるからだと言うのです。

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