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『歎異抄』を読む(その34) ブログトップ

6月18日(月) [『歎異抄』を読む(その34)]

 『無量寿経』というお経にこの法蔵菩薩の物語が書いてあります。親鸞は、お経は無数にあるがこの『無量寿経』に優るものはないと言います。
 しかし、そもそもお経というのは釈迦の悟りの内容について説くものです。一番ポピュラーなお経と言えば『般若心経』でしょうか。皆さんよくご存知のように、そこには「色即是空」が説かれています。この世にあるものはすべて空だと言うのです。このように、空とか無我とか縁起とか、そういった「真理」について説くのがお経です。
 ところが『無量寿経』は一風変わっています。「真理」を説くのではなく、「物語」を聞かせるのです。「はるか遠い昔、法蔵菩薩という名の菩薩がおらしてのう」という具合です。
 ぼくは宗派の外にいますから自由にものを言えますが、ひょっとしたら「物語」などという言い方は宗派では許されないのかもしれません。しかし、もしそうだとしたら物語というものに対する偏見があると思います。物語なんて作り話で、要するにウソの話だとする偏見。
 物語でしか語れない真実というものがあるのではないでしょうか。ぼくらはさまざまな物語を通じて人生の真実を学んできました。小さい頃は絵本の世界こそ真実の世界でしたし、少し長じてきますと、これは物語だと認識した上でそこに深い真実を味わってきました。
 法蔵菩薩の物語には深い真実が宿っています。「このままでもうすでに救われている」という真実です。法蔵菩薩の物語を聞かせてもらって、「このままでもうすでに救われている」という真実が届くかどうか。

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