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どんな時に「生きる意味」を感じるか? [生きる意味(その4)]

         第1章 「生きる意味」は他者からの贈り物
(1)どんな時に「生きる意味」を感じるか?
 何かが不足してきたなと感じる時、たいがいのものは自分で補うことができます。実際には力が足りなくて補うことができないことはもちろんありますが、原理的にできないわけではありません。もうだいぶ前ですが、あのホリエモン氏が「どんなものだって金さえあれば手に入れることができる」と断言するのを聞いた時、嫌味ではなく、この人は幸せな人だと思いました。
 しかしホリエモン氏といえども「生きる意味」ばかりは何ともなりません。「生きる意味」は自分では調達できないのです。
 ぼくらが「生きる意味」を感じるのはどんな時かを振り返ってみれば分かることです。念のために言っておきますが、ぼくらは普段「生きる意味」なんてとくに意識していません。それは多分空気のようなもので、それがないと一刻も生きていけない大事なものなのに、いや、そうであるが故に意識しないのです。
 でも時たま、ふと「生きる意味」を感じることがあります。それは、「あゝ、生きていてよかった」と思う時です。
 例えば、生徒から「先生の授業分かりやすくて楽しいよ」などと言ってもらった日には、もう天にも昇る心地がして、スキップしながら帰りたくなります。「生きているっていいな」と思います。「生きる意味」とは、この「生きていることの嬉しさ」です。
 この嬉しさは、自分は誰かから必要とされているという思いから生まれます。そしてこの思いは、自分では調達できません。やはり誰かからメッセージとして送られてこなければなりません。「先生の授業分かりやすくて楽しいよ」というメッセージこそ、ぼくに「生きる意味」を与えてくれたのです。

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