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「ありがたい」 [「親鸞とともに」その11]

(11)「ありがたい」

まずは「ありがたい」ということばについて。われわれ日本人は感謝の意をあらわすのに「ありがとう」ということばを日常的につかっていますが、これは他国語とくらべて異彩を放っています。他国語では普通に「わたしはあなたに感謝します」という意味のことばをつかいますが(“Thank you”、“Danke”、“謝謝”などなど)、日本語では「ありがとう」と言います。これは「あることかたし」が「ありがたい」となり、さらに「ありがとう」となったもので、ここには「わたし」も「あなた」もありません。いまここで起こっていること(たとえばどなたかから思いもかけない親切を受けたこと)が「あることかたし」と言っているのであり、それが感謝のことばとなっているのです。

さていま何が「ありがたい(あることかたし)」かといいますと、「わたし」が「いまここで生きている」ことです。どういうことでしょう。

もういちど縁起の法に戻ります(5,6)。「わたし」はそれ自体として存在するのではなく、存在するのは「わたし」を取り巻く無数の「つながり(縁)」であるということでした。まずもって「わたし」という主体がいて、その主体が無数の「つながり」をつくりだしているのではなく、まずもって無数の「つながり」があり、「わたし」はそうした「つながり」が交差する点にすぎないということです。さて、無数の「つながり」の交差する点が「わたし」ですから、この「わたし」がこの「わたし」であるのは「たまたま」のことであると言わなければなりません。この「わたし」がこの「わたし」ではなく、あの「わたし」であるとしても何の支障もありません。この「わたし」と、あの「わたし」がそっくり入れ替わっていても何の問題もないのですから。

このように、いま「わたし」においてこの「つながり」が成り立っているのは奇跡的なことです。これが「わたし」が「いまここで生きていること」は「ありがたい」ということです。


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