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無道に母を害せんと [『浄土和讃』を読む(その138)]

(5)無道に母を害せんと

 王舎城の悲劇に戻りましょう。頻婆沙羅王がわが子・阿闍世によって「七重のむろにとぢられ」るのですが、次の和讃はこう続きます。

 「阿闍世王は瞋怒(しんぬ)して 我母是賊(がもぜぞく)としめしてぞ 無道に母を害せんと つるぎをぬきてむかひける」(第75首)。
 「阿闍世は母に腹をたて、母は賊ぞとののしって、無道に母を殺そうと、つるぎをぬいて向かいゆく」。

 なぜ阿闍世王が怒りのあまり、母を害せんとしたのかといいますと、阿闍世王が獄の門衛に「父王は、いまなお存在するや(まだ生きているか)」と問いましたところ、こんな答えが返ってきたからです。「大王よ、国の大夫人は、身に麨蜜(しょうみつ、牛乳の精製品と蜜で小麦粉を溶いたもの)を塗り、瓔珞(ようらく、装身具)に漿(しょう、ぶどう水)を盛り、もちいて王に上(たてまつ)る」と。それを聞いた阿闍世王は「わが母は、これ賊なり(我母是賊)」と言って、「利剣をとりて、その母を害せん」とするのです。
 そのとき二人の大臣がこれを止めます。

 「耆婆(ぎば)・月光(がっこう)ねんごろに 是旃陀羅(ぜせんだら)とはぢしめて 不宜住此(ふぎじゅうし)と奏してぞ 闍王の逆心いさめける」(第76首)。
 「そのとき耆婆と月光は、それは旃陀羅ごときこと、ここにとどまることできずと、王の悪逆いさめたり」。

 『観経』の記述はこうです。「ときに一臣あり、なづけて月光という。聡明・多智なり、耆婆とともに、王のために礼をなして、もうしていう、『大王よ、臣、眦陀論経(びだろんきょう、ヴェーダのこと)に説くを聞く、劫初よりこのかた、もろもろの悪王あり。国位を貪るがゆえに、その父を殺害するもの、一万八千なりと。いまだかつて、無道に母を害するものあるを聞かず。王、いまこの殺逆の事をなさば、刹利種(せつりしゅ、クシャトリア階級のこと)を汚さん。臣、これを聞くに忍びず。これ旃陀羅(せんだら、アウトカースト)なり(是旃陀羅)。よろしくここに住すべからず(不宜住此)』」。
 状景が目の前に浮かぶようです。

タグ:親鸞を読む
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