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親鸞、覚如、蓮如 [「『おふみ』を読む」その2]

(2)親鸞、覚如、蓮如

蓮如は浄土真宗中興の祖と言われますが、実質的な創始者と言う方が実状にあっているのではないでしょうか。

親鸞その人には、自分が中心となって新しい宗派を作ろうという発想そのものがなかったと言えます。彼としてはあくまで「よきひとのおほせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」(『歎異抄』第2章)で、法然聖人の教えが世のなかに広まれという願いはあっても、自分が法然教団の後継者となるとか、あるいは新たな教団を創設しようなどとは思いもよらないことでしょう。

覚如(親鸞のひ孫、親鸞の末娘・覚信尼→その息子・(かく)()→その息子・覚如)の代になり、関東の直弟子(親鸞面の弟子)たちとの対抗意識のなかで、親鸞の血を引き、親鸞の墓所を守る自分が中心となって、親鸞教団としての浄土真宗を作らなければならないという明確な目的意識が生まれてきたと思われます。覚如の書くものを見ますと、その思いが色濃く漂っていることに気づきます。とりわけ『親鸞聖人伝絵(でんね)』という親鸞の伝記は、浄土真宗開祖としての親鸞を顕彰しようという目的意識が明らかです。

かくして新宗派としての浄土真宗は産声を上げたと言えますが、順調に育つというわけにはいきませんでした。親鸞の教えを汲む流れとしては、むしろ関東の面授の弟子たちを核とする門徒集団(高田門徒、横曽根門徒、鹿島門徒など)の方が、親鸞直伝という強みを生かしてより力強い歩みをしていたと言えます。とりわけ高田門徒から派生してきた仏光寺派が、名帳(みょうちょう)・絵系図(えけいず)という怪しげな手法を用いることで急速に勢力を伸ばし、訪れるものもなく「さびさびと」していた本願寺とは好対照でした。

そこに登場するのが蓮如です。覚如から善如、綽如(しゃくにょ)、巧如(ごうにょ)、存如(ぞんにょ)と続き、存如の長男として生まれた蓮如が本願寺第8代法主を継ぐこととなります。土一揆の嵐のなかで室町政権が崩れていき、応仁の乱から戦国の世に移り変わっていく時代です。


タグ:親鸞を読む
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