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はじめての『教行信証』(その40) ブログトップ

2013年9月6日(金) [はじめての『教行信証』(その40)]

 「救い」とは仏教の伝統的なことばでは「安心(あんじん)」です。
 ぼくの「救い」のイメージは小さかった頃によく観た映画から形づくられたような気がします。小学生の頃だと思いますが、宇宙を題材としたSF映画がよくかかり、好んで観にいきました。そんな宇宙映画のあるシーンが、ぼくには途轍もなく怖いものとしてこころに焼きつきました。
 宇宙飛行士が宇宙船から出て作業をしているのですが、何かの弾みでいのち綱が切れてしまい、ものすごいスピードで宇宙船から離れてしまうのです。あっという間に宇宙船の姿は見えなくなり、大宇宙の中にひとり寄る辺なく漂う。
 学生時代にブームとなった実存主義は「ぼくらは意図してこの世界に生まれてきたのではなく、気がついたらこの世界の中に意味もなく投げ出されていた」というメッセージでぼくのこころをつかみましたが、これは小さかった頃の途轍もなく怖いイメージとダブるものでした。
 寄る辺のない不安。
 「救い」のイメージはそこから生まれてきました。大宇宙をひとり漂っているとき、突然どこかからメッセージが届きます、「きみの位置を確認した。これから救出に向かう」と。それを聞いたときの安堵感、これがぼくにとっての「救い」です。
 さてこの「救い」を人に「与える」ことはできるか。これが当面の問題です。

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