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縁起と原因 [『ふりむけば他力』(その34)]

(7)縁起と原因

 縁起を説明するときにしばしば、というよりつねにと言った方がよさそうですが、「物事はかならず何らかの原因があって生じる」という言い方がされます。「縁に因って起る」ということを「原因によって起る」と言い換えるのですが、ここには重大な問題が潜んでいます。縁起とは「これが生ずればかれが生ずる」ことであると言うとき、それは逆に、「かれが生ずればこれが生ずる」ことでもあることが含意されています。相互依存の関係にあるというのはそういうことです。しかし「Aが原因となってBが生ずる」となりますと、それをひっくり返して「Bが原因となってAが生ずる」とは決して言えません。「ウイルスの感染が原因となって肺炎になる」のであって、「肺炎が原因となってウイルスに感染する」のではありません。原因と結果は不可逆的です。これだけでも縁起と原因は本質的に別の概念であることが分かります。
 さて煩悩と苦しみの関係を「煩悩が原因となって苦しみが生ずる」と捉えますと、そこからごく自然に、苦しみをなくすためにはその原因である煩悩をなくさなければならないという結論が出てきます。「Aが原因となってBという結果が生まれる」という言明には、「Bを得るためにはAが必要である」、あるいは「BをなくすためにはAをなくさなければならない」という実践的指針が含まれています。後で詳しく検討しますが(第8章)、原因・結果の概念は、あるものを手に入れるためにはどうすればいいか、あるいは、あるものをなくすにはどうすればいいかという目的・手段の概念と切り離しがたく結びついています。
 一方、「煩悩という縁により苦しみが生ずる」というのは、煩悩と苦しみは互いにつながりあっているということであり、なるほど煩悩がなくなれば苦しみもなくなりますが、それは互いにつながりあって成り立っている現実そのものがなくなることに他なりません。生きることはすべて苦しみであり(苦諦)、苦しみはみな煩悩と結びついているのですから(集諦)、煩悩をなくすことができますと確かに苦しみはなくなりますが、それとともにわれらの生きることすべてが消えてなくなります。四諦を縁起にもとづいて了解する限り、「苦しみを超克するためには煩悩を滅却し〈なければならない〉」という結論は出てこないことが明らかになったと思います。

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