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1月7日(金) [矛盾について(その162)]

 「する」と「いる」との境界線は非常に曖昧です。
 「ぼくは自分の部屋でパソコンを操作している」と言うとき、パソコンを操作「する“do”」ことと、自分の部屋に「いる“be”」ことははっきり分けられるように思います。でも、さっきは居間で新聞を読んでいたのに、いまは自分の部屋にいるというように、「いる」場所はその都度変わっているのです。それはもちろんぼくの意思にもとづいています。ぼくは自分の部屋に行こうとして階段をのぼり、いま自分の部屋に「いる」わけです。
 このように考えますと、どこかに「いる」というのは、そこに「自分の身を置く」ということで、「する」ことのひとつではないでしょうか。パソコンを操作するのと同じように、自分の部屋に身を置くのですから、どちらも「する」ことでしょう。そして「いる」のは必ず「どこかに」です。まれに「ここはどこだろう?」と途方に暮れることはありますが、それは分からないだけで、どこかにいるのは間違いありません。
 この「どこかに」を拡大していきましょう。ぼくは自分の部屋にいますが、この部屋はぼくの家の中にあり、家は愛知県にあります。愛知県は日本ですから、ぼくは日本にいます。といった具合にどんどん拡大していきますと、宇宙まで行き着きます。ぼくは宇宙にいるのです。さて、ぼくは自分の部屋に「いよう」として「いる」のですが、宇宙に「いよう」として「いる」のでしょうか。
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