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9月12日(日) [矛盾について(その46)]

 「ここは煩悩の世界である」という文は「事実の記述」ではなく「感情の表出」だと述べましたが、われながら常識外れのように思えます。これはどこから見ても、この世界がどのような世界であるかを記述しているように見えるからです。
 そこで「煩悩」とは何かを考えなければなりません。改めて言うまでもありませんが、煩悩とは仏教のもっとも基本的な用語で、ぼくらの苦しみの元凶と考えられているものです。生きていることそのものが苦しみだが、その苦しみはすべて煩悩から生じている。したがって煩悩から解脱できれば苦しみから解放される。ではどうすれば煩悩から解脱できるのか、という具合に話が進められていくのですが、煩悩とは何かを考えるために、そもそも「苦しみ」とは何かということから入っていきましょう。
 例えば、病気の苦しみと言いますと、体のどこかが痛い、熱が出てしんどいなどがとりあえず上げられるでしょう。大したことがなければ、薬を飲んで静養しているうちにこうした苦しみはいつか治まります。ところが、入院して長期の療養が必要となってきますと、痛い、しんどいといった体の苦しみとは別の苦しみが加わってきます。「何で、このオレが」という苦しみです。苦しみは二重構造をしています。痛みやしんどさといった直接的な苦しみに加えて、そうした苦しみを自分が負わなければならないことに苦しむのです。苦しみながら、そのように苦しんでいることに苦しむ、「どうして自分がこんなに苦しまなければならないのか」と。
 「どうして自分が」ということこそ苦しみの正体です。
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