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『教行信証』精読(その43) ブログトップ

本文6 [『教行信証』精読(その43)]

(6)本文6

 三つの経文が引かれた後、憬興(きょうごう)の『述文讃(じゅつもんさん)』から次の文が引用されます。

 憬興師のいはく、「今日世尊奇特の法に住したまへり」といふは、神通輪によりて現じたまふところの相なり。ただつねに異なるのみにあらず。また等しきものなきがゆゑに。「今日世雄仏の所住に住したまへり」といふは、普等三昧に住して、よく衆魔雄健天(おうごんてん)を制するがゆゑに。「今日世眼導師の行に住したまへり」といふは、五眼を導師の行と名づく。衆生を引導するに過上なきがゆゑに。「今日世英(せよう)最勝の道に住したまへり」といふは、仏、四智に住したまふ。独り秀でたまへること、ひとしきことなきがゆゑに。「今日天尊如来の徳を行じたまへり」といふは、すなはち第一義天なり。仏性不空の義をもつてのゆゑに。「阿難まさにしるべし、如来正覚は」といふは、すなはち奇特の法なり。「慧見無礙」といふは、最勝の道を述するなり。「よく遏絶(あつぜつ)することなし」といふは、すなはち如来の徳なりと。以上

 (現代語訳) 憬興師が『述文賛』でこう言われています、『大経』に「今日世尊奇特の法に住したまへり」とあるのは、仏の神通力によってとられた姿のことで、普通とは異なるというだけではなく、それと等しいものがないということです。「今日世雄仏の所住に住したまへり」とあるのは、仏が諸仏をあまねく見たてまつる禅定である普等三昧にお入りになり、魔王を制したまうということです。「今日世眼導師の行に住したまへり」とは、仏の五種の眼をもってあやまりなく衆生を悟りへと導かれるということです。「今日世英最勝の道に住したまへり」というのは、仏の四種の智慧をお持ちになり他に秀でていられるということです。「今日天尊如来の徳を行じたまへり」とは、真如仏性を悟られ、その仏性のはたらきは常住であることをお示しになられるということです。「阿難まさにしるべし、如来正覚は」といいますのは「奇特の法」のことで、「慧見無礙」とありますのは「最勝の道」をさします。そして「よく遏絶することなし」とはすなわち「如来の徳」について述べているのです。

タグ:親鸞を読む
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