SSブログ
『ふりむけば他力』(その79) ブログトップ

因果の観念は理性に由来するか経験に由来するか [『ふりむけば他力』(その79)]

(3)因果の観念は理性に由来するか経験に由来するか

 いま問題としているのは、異常気象や地球温暖化といった現象をもたらす原因が経験から導き出されることではなく、その原因が何であれ、それらの現象にはかならず原因があるということそのことです。どんな出来事にもかならず原因があるというという知識をわれらはどこから得たのか、それは理性に由来するのか、はたまたそれもまた経験に源泉をもつのか、これが問題であり、ここで見解が分かれます。上に述べましたように、ヒュームの結論は、原因・結果の観念もまた経験に由来するというものでしたが、彼がその結論に至った道筋を辿っておきましょう(彼の『人性論』はかなり複雑でその筋を追うのに苦労しますが、ぼくなりに整理してお示しします)。
 さて、「あることが起るには、そこにかならず原因がなければならない」ことを理性による推論で導き出そうとしますと、あることのはじまりの観念と原因の観念が必然的に結びついていることを示さなければなりません。しかし両者を切り離して考えることは容易にできますから(あることが何の原因もなくはじまると「考える」ことは十分にできます。たとえば『旧約聖書』の「創世記」では、神は無から世界を創造します)、そこからして「新しい生成にはすべて原因が必要だという考えは(必然的)知識から引き出されるのではなく、またいかなる学問的推論からも引き出されない」と言わざるをえません。かくしてそれは「どうしても観察と経験とから生じるのでなければならない」という結論になります。
 そこで「次に問題となるのは、いかにして経験はそのような原理を生じさせるか」ということです。
 かくしてヒュームは原因と結果と見なされる任意の二つの対象に目を向け、どのようにして因果の観念が生まれてくるかを探ろうとします。さてしかしそれらの対象の性質そのものをどれほど詳しく調べても因果の観念の元となるものは見いだすことはできず、それは二つの対象の間の関係に起因するとしか考えられません。で、ヒュームはその関係を調べ、そこには「近接」と「継起(一方が他方に先行すること)」、そして「必然的結合」の三つの要素があることを見いだします。さてしかし「近接」し「継起」する二つの対象に「必然的結合」という関係があるのはどうしてか。ここからいよいよヒューム因果論の核心部分に入っていくことになります。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
『ふりむけば他力』(その79) ブログトップ