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第6通第2段 [『末燈鈔』を読む(その68)]

(5)第6通第2段

 かまへて学生沙汰(がくしょうざた)せさせたまひ候はで、往生をとげさせたまひ候べし。故法然聖人は「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候しことを、たしかにうけたまはり候しうへに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて、えませたまひしをみまいらせ候き。ふみさたして、さかさかしきひとのまいりたるをば、「往生はいかゞあらんずらん」と、たしかにうけたまはりき。いまにいたるまで、おもひあはせられ候なり。ひとびとにすかされさせたまはで、御信心たぢろかせたまはずして、をのをの御往生候べきなり。たゞし、ひとにすかされさせたまひ候はずとも、信心のさだまらぬひとは正定聚に住したまはずして、うかれたまひたるひとなり。乗信房にかやうにまふしさふらふやうを、ひとびとにもまふされ候べし。あなかしこ、あなかしこ。

 (現代語訳)決して学者ぶったりなさらないで、往生をとげてください。故法然聖人は「浄土宗の人は愚者となって往生するのがよろしい」と言われたのを確かにうけたまわっております。ものも弁えないあさましい人たちが来られたのを聖人が御覧になって、「必ず往生できます」と言われて微笑まれたことがあります。また、学問をしてしっかりしている人が来られた時は「往生できるでしょうか」と言われたのを確かにうけたまわりました。そんなことが今思い合わされます。いろいろな人の言うことに惑わされず、信心をゆるがせにしないで、おのおの往生をとげてください。もっとも、人の言うことに惑わされなくても、信心がしっかりと定まらない人は、正定聚の位につくことができず、ふらふらしている人です。あなたにこのように申しましたことを、他の人々にもお伝えください。謹言。

 第1段に「愚痴無智のひともをはりもめでたく候へ」とあったのを受けて、「学生沙汰(学者ぶること)」が話題となっています。


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