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中品 [『観無量寿経』精読(その75)]

(8)中品

 次に中品上生から中品中生、そして中品下生を一気に読みます。

 仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「中品上生といふは、もし衆生ありて、五戒を受持し、八斎戒を持(たも)ち、諸戒を修行して、五逆を造らず、もろもろの過患(かげん、つみとが)なからん。この善根をもつて回向して西方極楽世界に生ぜんと願求す。命終る時に臨みて、阿弥陀仏は、もろもろの比丘とともに眷属に囲繞せられて、金色の光を放ちて、その人の所に至る。苦・空・無常・無我を演説し、出家の衆苦を離るることを得ることを讃歎したまふ。行者、見をはりて心大きに歓喜す。みづから己身を見れば蓮華の台に坐せり。長跪(じょうき)合掌して仏のために礼をなす。いまだ頭を挙げざるあひだに、すなはち極楽世界に往生することを得て、蓮華すなはち開く。華の敷(ひら)くる時に当りて、もろもろの音声を聞くに四諦を讃歎す。時に応じてすなはち阿羅漢道を得。三明六通(神通力)ありて八解脱を具す。これを中品上生のものと名つく。
 中品中生といふは、もし衆生ありて、もしは一日一夜に八斎戒を受持し、若しは一日一夜に沙弥戒(しゃみかい)を持ち、もしは一日一夜に具足戒を持ちて、威儀欠くることなし。この功徳をもつて回向して極楽国に生ぜんと願求す。戒香の熏修せる(持戒の徳が香のように染みている)、かくのごときの行者は、命終らんとする時、阿弥陀仏の、もろもろの眷属とともに金色の光を放ち、七宝の蓮華を持たしめて、行者の前に至りたまふを見る。行者みづから聞けば、空中に声ありて讃めてのたまはく、善男子、なんぢがごときは善人なり。三世の諸仏の教に随順するがゆゑに、われ来りてなんぢを迎ふと。行者みづから見れば、蓮華の上に坐せり。蓮華すなはち合し、西方極楽世界に生じて宝池のなかにあり。七日を経て蓮華すなはち敷く。華すでに敷けをはりて目を開き、合掌して世尊を讃歎したてまつり、法を聞きて歓喜し、須陀洹(しゅだおん、預流果のこと)を得、半劫を経をはりて阿羅漢と成る。これを中品中生ものと名づく。
 中品下生といふは、もし善男子・善女人ありて、父母に孝養し、世の仁慈を行ぜん。この人命終らんとする時、善知識の、それがために広く阿弥陀仏の国土の楽事を説き、また法蔵比丘の四十八願を説くに遇はん。この事を聞きをはりて、すなはち命終る。たとへば壮士(しょうじ、若者)の臂を屈伸するあひだのごとくに、すなはち西方極楽浄土に生ず。生じて七日を経て、観世音および大勢至に遇ひて法を聞きて歓喜し、一小劫を経て阿羅漢と成る。これを中品下生のものと名づく。これを中輩生想と名づけ、第十五の観と名づく」と。

タグ:親鸞を読む
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