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二河白道の譬え [『教行信証』「信巻」を読む(その73)]

第8回 二河白道の譬え


 (1) 二河白道の譬え


   これまで善導の『観経疏』「散善義」から、至誠心・深心・回向発願心の三心釈が引用されてきましたが、それにつづいて有名な「二河白道の譬え」が引かれます。


また一切往生人等にまうさく、いまさらに行者のために一つの譬喩を説きて、信心を守護して、もつて外邪異見の難を防がん。なにものかこれや。たとへば人ありて、西に向かひて行かんとするに百千の里ならん。忽然(こつねん、突然)として中路(途中)に見れば二つの河あり。一にはこれ火の河、南にあり。二つにはこれ水の河、北にあり。二河おのおのひろさ百歩(ひゃくぶ、百歩あるく距離)、おのおの深くして底なし、南北辺(ほとり)なし。まさしく水火の中間(ちゅうげん)に一つの白道あり、ひろさ四五寸ばかりなるべし。この道、東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩、その水の波浪交はり過ぎて道をうるほす。その火焔また来りて道を焼く。水火あひ交はりて、つねにして休息(くそく)することなけん。この人すでに空曠(くうこう、空漠として広い)のはるかなる処に至るに、さらに人物(にんもつ)なし。多く群賊・悪獣ありて、この人の単独なるを見て、競(きお)ひ来りてこの人を殺さんとす。死を怖れてただちに走りて西に向かうに、忽然としてこの大河を見て、すなはちみづから念言(こころに思う)すらく、〈この河、南北に辺畔(へんぱん、ほとり)を見ず、中間に一つの白道を見る、きはめてこれ狭少なり。ふたつの岸あひ去ること近しといへども、なにによりてか行くべき。今日さだめて死せんこと疑はず。まさしく到り回(かえ)らんと欲へば、群賊・悪獣、漸々に(ぜんぜんに、次第に)来り逼(せ)む。まさしく南北に避(さ)り走らんとすれば、悪獣・毒虫、競ひ来りてわれに向かふ。まさしく西に向かひて道を尋ねて去(ゆ)かんとすれば、またおそらくはこの水火の二河に堕せんことを〉と。



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