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「悲しい!」には人称がない [生きる意味(その94)]

(25)「悲しい!」には人称がない
 「悲しむ」があれば、必ずそれを「している」誰かがいます。「悲しむ」が、ただそれだけで宙に浮いていることはできません。でも「悲しい!」からといって、誰かが悲しいという訳ではありません。「悲しい!」には人称がないのです。
 ところが「悲しむ」と「悲しい!」とを一緒くたにしてしまうものですから、「悲しみ」のあるところ、それは必ず誰かの「悲しみ」だと思ってしまう。もう一度言いますと、「悲しむ」は「悲しみ」を表現する行為で、「悲しい!」は「悲しみ」が感じられることなのに、この二つをごっちゃにしてしまうところから「ぼくの悲しみ」「きみの悲しみ」が生まれてくるのです。
 「彼は悲しんでいる」とは言いますが、「彼は悲しい」とはまず言いません。「悲しいのは誰?」と聞かれたりすれば、「彼が悲しい」と答えることはあるでしょうが、そうでもない限り、「悲しい!」に「誰が」は余分です。
 また例によって「彼は悲しんでいる」と「悲しい!」を絵に描いてみましょうか。前者の絵には「彼」が登場して、肩を震わせながら泣いています。しかし後者はどんな絵になるのでしょう、一枚の木の葉が舞い落ちるところを沈んだ色調で描くのでしょうか、とにかくその中に「彼」が登場しないのははっきりしています。「悲しい」のが「彼」であることを表現するためには、もう一枚の絵でそれが分かるようにするしかありません。

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