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10月1日(金) [矛盾について(その65)]

 見る場合と違って、ぼくが感じなければ、感じられる何かはどこにも存在しません。
 さて煩悩ですが、ぼくがこれは煩悩だと感じてはじめて姿を現します。ぼくが感じない限り、煩悩はどこにも存在しないのです。そんなことはないだろう、貪りや怒りや愚痴は、ぼくがそれを貪り・怒り・愚痴と感じようが感じまいが、そんなことに関係なく存在するじゃないかと言われるかもしれません。なるほど貪り・怒り・愚痴そのものは存在しますが、煩悩としての貪り・怒り・愚痴は存在しないのです。
 怒りを考えてみましょう。前に、レストランで自分より後から来た人に先に料理が出されると無性に腹が立つという例を上げました。そんなとき怒りの発作に襲われますが、それ自体は煩悩でも何でもありません。ただ怒っているだけのことです。怒りながら、「あ、これは煩悩だ」と感じてはじめて煩悩としての怒りが姿を現すのです。
 煩悩とは「オレが、オレが」と「われにとらわれる」ことでした。ですから、怒りながら「あ、これは“オレが、オレが”にとらわれているのだ」と感じてはじめて煩悩がその姿を現わすのです。そう感じなければ、「なんで後から来た客に先に料理が出るのだ!」とひたすら怒るだけで、煩悩なんてどこにもありません。
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