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矛盾について(その487) ブログトップ

12月3日(土) [矛盾について(その487)]

 ふと「おまえはそのまま生きていていいのか?」という声が聞こえる。
 聞きたいと思ったから聞こえたのではありません。逆に、聞きたくないと思っても聞こえてしまうのです。そして聞こえてしまった以上、「わたしはこのまま生きていていいのか?」という問いを抱えて生きるしかありません。さてしかし、この問いに自分で答えを出すことができるでしょうか。向こうから投げかけられた問いではあっても、それに自分で答えを出すことができれば、それで落ち着くことができるかもしれません。しかし、それも不可能です。
 「このまま生きていていいのか?」に“NO”と答えることはできるか。できません。その答えにはぼくらの全身が拒絶反応を起こすでしょう。では“YES”と答えることはできるか。そう答えたいし、一応は答えることができます。しかし、悲しいかな、その答えは何の効力も持ちません。百万遍“YES”と言っても同じことです。“YES”は外から言ってもらわないと何の効力もないのです。かくして、この問いには自分で答えを出すことができないことがはっきりしました。この問いは自分で問うものではなく、自分で答えるものでもないのです。
 まことに不思議な光景ですが、どこかから「そのまま生きていていいのか?」という問いかけがあり、そしてそれに対して「そのまま生きていていい」という答えが与えられるとしか考えることができません。「そのまま生きていていいのか?」の声に「こんな自分が生きていてすみません」と頭を下げ、「そのまま生きていていい」の声に「こんな自分が生きていてありがとう」と喜ぶだけです。これが「問いがそのまま答えになっている」ということばの意味に他なりません。

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