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はじえての『教行信証』(その147) ブログトップ

2013年12月22日(日) [はじえての『教行信証』(その147)]

 この疑問に答えるには「これから」の不安とは別に「もうすでに」の不安があるということを明らかにしなければなりません。これは「これから」の不安の過去形ではありません。「昨夜は不安で眠れなかった」というのは、昨夜という時点において不安であったということで、「これから」の不安であることに変わりはありません。
 不安というのは「これから」のことに関わり、もうすでに終ったことには関係なさそうに思われますが、例えばこんなケースはどうでしょう。若かった頃よくあったことですが、調子に乗って深酒をし、あくる朝目覚めますと昨夜の記憶が飛んでしまっています。ある時間以後の記憶がスッポリ欠落している。こんなとき堪らなく不安になります。
 これは「これから」のことを不安に思うのではなく、「もうすでに」終ってしまったことが不安になるのです。覆水盆に返らずで、過ぎ去ってしまったことを不安に思ってもどうしようもないとは思いながらも、しかし不安でしかたがない。この不安は、すでにしてしまったことに対して、「そうするしかなかった、それでよかったのだ」と思えないことから来ます。
 大津波に飲み込まれて、しっかりつないでいたはずの手を離してしまい、わが子が濁流に流されてしまった母親のことを思い浮かべてみましょう。「どうしようもなかった」と頭では納得しても、「どうしてあのとき手を離してしまったのだろう」と自分を責め不安になる。あるいは前の大戦で、戦友たちはほとんど死んでしまったなかで生きて戻って来られた兵士が、戦地でのあれこれを思い出しながら「生き残ってしまったが、それでよかったのか」と不安になる。これが「もうすでに」の不安です。

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