SSブログ
「『証巻』を読む」その7 ブログトップ

本文2 [「『証巻』を読む」その7]

(7)本文2

経典からの引用です。

必至滅度の願文、『大経』にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、国のうちの人天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ」と。以上

『無量寿如来会』にのたまはく、「もしわれ成仏せんに、国のうちの有情、もし決定して等正覚に成り大涅槃を証せずは、菩提を取らじ」と。以上

願成就の文、『経』にのたまはく、「それ衆生ありて、かの国に生るれば、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかん。かの仏国のうちにはもろもろの邪聚(邪定聚、仏になれないもの)および不定聚(仏になることが定まっていないもの)なければなり」と。

またのたまはく、「かの仏国土は、清浄安穏にして微妙快楽(みみょうけらく)なり。無為泥洹(ないおん、涅槃)の道に次(ちか)し。それもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧高明にして、神通洞達せり。ことごとく同じく一類にして、形異状なし。ただ余方に因順するがゆゑに、人天の名あり(他の世界に準じて人や天の名があるだけ)。顔貌端正(げんみょうたんじょう)にして世に超えて希有なり。容色微妙にして、天にあらず人にあらず。みな自然虚無(じねんこむ)の身、無極(むごく)の体を受けたるなり」と。

またのたまはく(如来会)、「かの国の衆生、もしまさに生れんもの、みなことごとく無上菩提を究竟し、涅槃の処に到らしめん。なにをもつてのゆゑに。もし邪定聚および不定聚は、かの因を建立せることを了知することあたはざるがゆゑなり」と。以上抄要

第十一願を『大経』と『如来会』から引用し、その成就文を『大経』から二文、『如来会』から一文引用しています。まず第十一願の願文ですが、二つの経典を照らし合わせることで、「定聚に住す」と「等正覚に成る」、「滅度に至る」と「大涅槃を証す」が同じ意味をもっていることが了解できます。そして「定聚に住す」(「等正覚に成る」)が現生において信心を得たときであり、「滅度に至る」(「大涅槃を証す」)は来生においてであることはこれまで確認してきた通りです。


タグ:親鸞を読む
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
「『証巻』を読む」その7 ブログトップ