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表と裏 [『一念多念文意』を読む(その134)]

(12)表と裏

 真実の声を聞かせるのではありません。しつこいようですが、言って聞かせることは自家撞着を犯すことです。馬に水を飲ませることはできない、ただ水場に導くことができるだけと言われますが、同じように、真理の声を聞かせることはできません、ただ聞こえるよう導くことができるだけです。
 しかしどのようにして。
 馬に水を飲ませるときのように、水場に連れていくだけでいいというわけにはいきません。届けられている声をかたくブロックしているバリアが外れるように手助けしなければなりませんが、それが「わがものに執着するなかれ」と語ることです。
 これは「わがものに執着しないようになれば、苦しみから解放されますから、頑張って執着心を捨てる努力をしなさい」と言っているようですが(いや、実際そう言っているのですが)、実は、どんなに努力してもそんなことができるものではないと見越しているのです。表面的には執着心から離れなさいと言いながら、実はその裏に隠された狙いがある。方便とはそういう意味です。
 親鸞が『化身土巻』で「顕彰隠密」ということばをつかって言おうとしたのがそれです。経文には表にあらわれた意味(顕)と、裏に隠れた意味(隠)があり、隠された意味が真実で、表にあらわれているのはその方便だというのです。たとえば『観無量寿経』は普通に読めば「定善・散善(往生のためのさまざまな善)をしなさい」と説いているのですが、それは方便であって、実はそのように言うことを通して真実の本願海に導こうとしているということです。

タグ:親鸞講座
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