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無始よりこのかたこの世まで [親鸞の和讃に親しむ(その109)]

(9)無始よりこのかたこの世まで

無始よりこのかたこの世まで 聖徳皇のあはれみに 多々のごとくそひたまひ 阿摩のごとくにおはします(第85首)

かぎりない世をつらぬいて 聖徳皇のあわれみは 父のごとくに添いたまい 母のごとくに寄りたまふ

第84首につづき聖徳太子を「多々のごとくそひたまひ」「阿摩のごとくおはします」と詠われますが、このことばの響きは胸に沁みます。

1173年生まれの親鸞から見て574年生まれの聖徳太子は600年も前の人で(われらからしますと室町時代に生きていた人に相当します)、そこから「無始よりこのかたこの世まで」という言い回しが出てきたと思われます。はるか昔からずっと父として母として寄り添い、みまもってくださっているという思いがあふれています。父母ということばで思い出されるのは、『歎異抄』第5章の「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず」という一節です。親鸞という人は自身のプライベートなことはほとんど人に語りませんでしたので、その両親についてもまったくと言っていいほど分かりませんが(父は日野有範、母は吉光女とされ、幼くして死別したと伝えられます)、その父母の供養のために念仏したことは一度もないと言うのです。

その理由として第一に上げられるのが「一切の有情は、みなもつて世々生々の父母兄弟なり」ということです。わたしには「わが父母」、「ひとの父母」という囚われはないと言っているのです(同じように『歎異抄』第6章では「わが弟子」、「ひとの弟子」という囚われが問題にされます)。これまでに亡くなった人たち、いや人だけではありません、生きとし生けるものすべてが「世々生々の父母兄弟」に他ならず、その「世々生々の父母兄弟」が「多々のごとくそひたまひ」、「阿摩のごとくおはします」というのです。われらは「わがちからにて」生きていると思い、そして「わがいのち」を栄えあるものにしようともがき苦しんでいますが、あにはからんや、「世々生々の父母兄弟」が「多々のごとくそひたまひ」、「阿摩のごとくおはします」からこそ、「わがいのち」を生きることができているのです。

「わたしのいのち」は「わたしのいのち」のまま、「ほとけのいのち」のなかで生かされているというのはそういうことです。


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