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7月18日(月) [矛盾について(その349)]

 例えば、アメリカの国柄はキリスト教であるなどとされたらどうでしょう。アメリカ人の多数はキリスト教徒でしょうが、イスラム教徒も仏教徒もいますし、無神論者もいるでしょう。アメリカ人の多くはキリスト教を信じているからといって、アメリカの国柄がキリスト教であることにはならないのです。同じように、日本人の多くが天皇を敬愛し、天皇制を支持しているからといって、日本の国柄が天皇制であることにはなりません。それは思想信条の自由という民主主義の根幹に抵触するのです。
 アメリカの国柄はキリスト教だとされるよりも、日本の国柄は天皇制だとされる方がよほどたちが悪い。どうしてかと言いますと、キリスト教は世界宗教であるのに対して、天皇制は純然たる民族宗教だからです。つまりキリスト教は民族を限定されませんから、まだ風通しがいいのですが、天皇制は日本人だけの宗教だとされます。そこから天皇制を信じるのが日本人であり、日本人なら天皇制を信じるものだとされ、逆に言うと、天皇制を信じないものは日本人にあらずとされるのです。天皇制に違和感を持つものは身の置き所がなくなります。
 それとも著者は天皇制に違和感を持つこと自体がおかしいというのでしょうか。それは日本という国をよく知らないからであって、日本の成り立ちをきちんと知りさえすればおのずと天皇制という宗教を信じるようになるのだと。本のタイトルはそれを言おうとしているのかもしれません。前にも言いましたように、ぼくは事実認識(日本の成り立ちについてどう認識するか)について争おうとは思いません。それより、日本の成り立ちを「知る」ことが、どうして天皇制を「信じる」ことにつながるのかという点に根本的な疑問を持つのです。

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