SSブログ
「『正信偈』ふたたび」その38 ブログトップ

よこさまに [「『正信偈』ふたたび」その38]

(8)よこさまに

次に第二句、「すなはちよこさまに五悪趣を超截す」です。「すなはち」は「そのとき直ちに」という意味であることは言うまでもありません(親鸞のことばでは「ときをへず日をへだてずして」)。問題は次の「よこさま(横)に」で、上に見ましたように、これは『大経』に出てくることばですが、親鸞はこれに特別な意味を読み込みます。『尊号真像銘文』で件の『大経』の文を注釈して次のように述べています、「『横』はよこさまといふ、よこさまといふは如来の願力を信ずるゆゑに行者のはからひにあらず、五悪趣を自然にたちすて四生をはなるるを横といふ、他力と申すなり」と。

「竪(たたさま)」が自力であるのに対して「横(よこさま)」は他力を意味すると言うのです。

さてしかし「よこさま」の普通の意味は、『大経』に多く出てくる例を見ても分かりますように、「不当に」とか「不正に」ということです。たとえば「五悪段」にはこうあります、「横(よこさま)に威勢を行じて人を侵易し(侵しあなどる)」と。また『教行信証』でも『涅槃経』からの引用文に「父の王辜(つみ)なきに、横(よこさま)に逆害を加す」という表現が何度も出てきます(父王を殺して王位を簒奪した阿闍世の懺悔のことばです)。辞書を見ますと、横のつく熟語は「横柄」、「横暴」、「横着」など「よこしま」の意味ばかりです。このように「たたさま」が「順序次第にしたがうこと」で、それが「常識にあうこと」であるのに対して、「よこさま」は「順序次第を経ないこと」であり、「常識に反すること」を意味すると言えます。

ここから了解できますのは、「よこさま」すなわち他力というのは世の常識に反することであるということで、常識的なのは何ごとも自力でコツコツと「たたさま」になすことであり、それを無視するのが他力であるということになります。他力の非常識をさらに際立たせるのが、よこさまに「超える」ということで、常識的には「順序次第にしたがって」一歩一歩前進していくものですが、他力はそんな位階秩序などは無視して、一足飛びに「超える」のです。


タグ:親鸞を読む
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
「『正信偈』ふたたび」その38 ブログトップ