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一念帰命の他力の信心 [「『おふみ』を読む」その15]

(2)一念帰命の他力の信心

1・1の最後のところで、「念仏だにももうせば、往生するとばかりおもいつるこころ」と「信心決定のうえに、仏恩報尽のために念仏もうすこころ」が対比されていました。「ただただ念仏していればいいのだ、そうすれば往生できるのだ」という従来の考えから、「信心を決定することが肝要であり、そのうえの念仏は仏恩報尽の念仏である」という考えへの転換を述べているのです。1・2は1・1から3日後の7月18日に書かれていますが、1・1の「信心決定、仏恩報尽」とはどういうことかを明らかにしようとしていると見ることができます。

一念帰命の他力の信心、これが決定すれば、そのとき往生が定まる。

蓮如はそれを明らかにするべく親鸞にならって、まず『無量寿経』から本願成就文(第十八願が成就したことを述べる文)をあげます。「聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転」。親鸞はこの一文に他力信心のエッセンスがあると見ました。あらためてこの文の意味するところを味わいたいと思います。親鸞までは前半3句を「その名号を聞きて、信心歓喜し、乃至一念せん」と読み、後半4句を「至心に回向して、かの国に生れんと願へば、すなはち往生を得、不退転に住せん」と読んできました。ところが親鸞は「至心回向」を前後から独立させ、それを「(弥陀が)至心に回向したまへり」と読むのです。そうすることで、この文は三つの部分に分かれ、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念〈その名号を聞きて、信心歓喜し、乃至一念せん〉」と「願生彼国 即得往生 住不退転(かの国に生れんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん)」が「至心回向(至心に回向したまへり)」でつながれることになります。

「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」にも「願生彼国 即得往生 住不退転」にも、その前提として如来の「至心回向」があるということです。


タグ:親鸞を読む
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