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自業自得 [『ふりむけば他力』(その58)]

(9)自業自得

 さて因果応報が勧善懲悪の役割をはたしていること自体は問題がないとしても、それが非常に罪作りな役回りをすることがあります。「善因善果、悪因悪果」から、善いことしなさい、悪いことはしなさんな、と言っている分にはいいのですが、現在の善悪を過去の善因、悪因と結びつけて、すべては自業自得としてしまいますと、人を理不尽に責めることになります。『無量寿経』に「五悪段」とよばれる箇所があり、人の悪のありようをこれでもかとばかり赤裸々に描写していますが、それは「善因善果、悪因悪果」の自業自得を説いているようにも読めます。その一節を上げておきましょう。
 「その一つの悪とは、…強きものは弱きを伏し、うたたあひ剋賊(こくぞく、殺害)し、残害殺戮してたがひにあひ呑噬(どんぜい、呑はのむ、噬はかむ)す。…神明(天地の神々)は記識(きし、記録)して、犯せるものを赦さず。ゆゑに貧窮・下賤・乞丐(こつがい、乞食)・孤独・聾・盲・瘖瘂(おんあ)・愚痴・弊悪(片意地)のものありて、尫(おう)・狂・不逮(尫・狂は身心の不自由な人、不逮は才智の至らない人)の属(たぐい)あるに至る。また尊貴・豪富・高才・明達なるものあり。みな宿世に慈孝(じきょう)ありて、善を修し徳を積むの致すところによるなり」。
 これを見ますと、現世において「貧窮・下賤・乞丐・孤独・聾・盲・瘖瘂・愚痴・弊悪」といった境遇にあるものは、宿世において「うたたあひ剋賊し、残害殺戮してたがひにあひ呑噬」してきた報いを受けているのであり、逆に、現世において「尊貴・豪富・高才・明達」という境遇に恵まれているものは、宿世において「慈孝ありて、善を修し徳を積」んできた報償だと言い、誰の眼にも理不尽きわまりない暴論に見えます。この世の不平等はみな本人の所為であることとなり、恵まれた境遇のものには心地よいかもしれませんが、不遇のものにとってはたまったものではありません。
 『無量寿経』がどうしてこういう説き方をするのかについてはさまざまな解釈が可能でしょうが、いまはそれに立ち入ることはしません。大事なことは宿業の思想は因果応報や自業自得の教えとは似て非なるものだということです。「卯毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなし」とは、罪をつくるかどうかは、その人が過去に悪いことをしたかどうかによるということではなく、その縁があるかどうかだということです。「わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」と言っているのです。

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