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本師源空のをはり [はじめての『高僧和讃』(その234)]

(13)本師源空のをはり

 次の和讃です。4首を一気に読みます。

 「阿弥陀如来化してこそ 本師源空としめしけれ 化縁(けえん)すでにつきぬれば 浄土にかへりたまひにき」(第114首)。
 「阿弥陀如来の化身とて、源空世にぞあらわれて、その縁すでにつきたれば、浄土へ還りたまいたり」。

 「本師源空のをはりには 光明紫雲のごとくなり 音楽哀婉雅亮(あいえんがりょう)にて 異香(いきょう)みぎりに映芳(えいほう)す」(第115首)。
 「源空終わりのときがきて、紫雲のひかりたなびきぬ。妙なる音が空に満ち、芳香あたりにただよいぬ」。

 「道俗男女預参し 卿上運客(けいしょううんかく)群集す 頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)にて 如来涅槃の儀をまもる」(第116首)。
 「道俗男女むらがって、公卿も多くあつまりぬ。枕を北に西を向き、釈迦涅槃時の儀をまもる」。

 「本師源空命終時 建暦第二壬申(にんしん)歳 初春下旬第五日 浄土に還帰(げんき)せしめけり」(第117首)。
 「本師源空なくなるは、建暦二年一月の、二十五日のことにして、浄土へ還りたまいたり」。

 源空讃の最後に、法然上人の臨終の様子を詠う4首が置かれています。法然は阿弥陀仏の化身として日本の国に生まれ、専修念仏の教えを広められたが、この土の縁がつきて浄土へお還りになったと詠われています。ときに1212年の1月25日のことでしたが、親鸞は関東の地にあって、後からそのことを知らされたことでしょう。

タグ:親鸞を読む
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