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『歎異抄』を読む(その189) ブログトップ

11月21日(水) [『歎異抄』を読む(その189)]

 「なんでこのオレが」に自閉している人には、残念ながら「そのままで救われている」という声は届きません。「馬鹿なことを言うな」と反発するだけです。
 それに対してどう答えればいいのでしょう。「つひには地獄におつべし」と言うべきでしょうか。実際、自分の信仰を広めようとして「そんなこと信じられるものか」と反発された時、これに似たことばを投げつける宗教家によく出会います。さすがに「お前なんか地獄に落ちろ」とは言わないでしょう、もっと優しく「それでは救われませんよ」と言うと思いますが、同じことを言っているのです。
 そんな時、その人は自分が救いを与えるような顔をしています。
 「そんなこと信じられるものか」と反発するからと言って、「それでは救われませんよ」なんてことは決してありません。みんな「もうすでにそのままで救われている」のです。ただそれが信じられないだけです。信じようが信じまいが、もうすでに救われている。これが浄土の教えの根本です。ここに親鸞の真骨頂があります。信じようが信じまいが救われているのです。
 でも「そんなこと信じられるものか」と反発する人はいつまでも「なんでこのオレが」と苦しみ続けなければなりません。そんなふうに頑なに心を閉ざして「なんでこのオレが」に浸っている人にはどんなことばも無効です。ではどうすればいいのでしょうか。「勝手にしろ」と放り出すしかないのでしょうか。

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